備中鍬とフォーク
(備北民報 2011年11月29日掲載の連載エッセイ「紅茶の丘の物語(第31回)」より加筆修正したものを掲載します)
紅茶農園で畑を耕すのに備中鍬(びっちゅうぐわ)を使います。土が粘土質なうえに石が多くて、とても平鍬(ひらぐわ)の手には負えない。それでも、あまりに土が硬いので真ん中の刃が曲がってしまうことも。やはり道具は奮発して高くてもよいものを使わないといけないなぁと思うこの頃であります。ドイツからお泊まりに来られたお客様(※2011年当時はペンションを営業しておりました)が「私はお金がないので安いものは買えないのです」と言われたことを思い出して妙に納得。備中鍬は山田方谷が発明した道具で高梁川を下り、遠く江戸(東京)へ販路を拡大したのは有名ですが、もう時代は明治に入っていたのではないかと思います。明治元年が1868年なので、ざっと140年ほど前のことでしょうか。
ところで、備中鍬をよく見てみるとなんかフォークのように見えませんか。備中鍬は2本~5本の刃があるものを言うようですが、西洋のカトラリーの代表格であるフォークもやはり2本~4本まで存在します。元々西洋ではスプーンが最初に発明されていて、スプーンでスープを飲みナイフで肉を切り取って手で食べるというスタイルが一般的でした。手づかみで食べるので、フォークは一番最後に登場となったようです。最初は2本の刃で肉を突き刺して調理するために作られたものが徐々に改良を重ねて現在の4本刃に。実際に2本刃のフォークで食事するのはちょっと怖いです。そもそも食事中にナイフやフォークを使用することは当初禁止されていました。フォークとナイフで戦いを始める人が後を絶たなかったためでした。
4本刃のフォークの発明にはイタリアのパスタが絡んでいて、庶民の食べ物だったパスタを貴族が食べるためにソースとパスタを上手に絡めて食べるために考案されたとか。庶民は屋台で出来立てのパスタを手でつまんで口を上に向け、パスタの下から口に入れて食すのが一般的だった時代(やっぱりみんな手づかみなんだ)です。一般人がフォークを使い始めるのは18世紀に入ってのことなので、備中鍬の開発時期より少しだけ前です。
フォークの語源はラテン語の「熊手・furca」です。えーっ熊手?ほらね。なんか紅茶農園主の思考回路とうまく絡み合うでしょ。