紅茶農園主のブログ

地下鉄と溝蓋(みぞぶた)

2021年3月14日

(備北民報 2014年3月18日掲載の連載エッセイ「紅茶の丘の物語(第134回)」より加筆修正したものを掲載します)

 (2014年)3月14日に「寝台特急あけぼの」が姿を消しました。上野発の最終列車の先頭にはEF64号機といって、山岳路線専門に開発された電気機関車が最後の任務を担います。この電気機関車、実は日本で見られる地域は限られていて我が伯備線はこの貴重な姿を見ることができるポイントなのです。東京出張の際、早朝の新見駅4時57分発の始発電車で岡山へ向かう直前にゆっくりと隣のホームへ重いコンテナを牽引して入線して来る姿を間近で見ることができます。貨物・旅客に利用できるEF64(1000番台)は前と後ろのデザインが非対象という、とても面白い形をしています。ぜひ、伯備線にご乗車のうえご確認を(笑)。

(新見駅からタクシー利用でアーリーモーニングヘお越しの場合、タクシー半額券のご利用もございます。駅前の新見市観光協会へ事前にお問い合わせください。)

「あけぼの」の引退は今から7年前のお話でした。今年3月には、JR東日本185系「踊り子」が引退。185系デビューの時の特集を雑誌「鉄道ファン」で読んだことを思い出します。というか、今でも書庫の本棚にありますなぁ。因みに物持ちは良い方です。現在は湘南ライナーとしてサンライズ出雲の出発番線ホームから一足早く出発するので、東京からの帰りにはおなじみでした。伯備線でも特急「やくも」号で活躍している381系という車両も引退間近といわれており、時代の流れですかねぇ。

 さて、ここからは地下鉄のお話です。1863年1月10日に開通した世界初の地下鉄は、ロンドンのパディントン・ターミナル駅から市の中心部「シティ」にあるファリンドン・ストリート駅までの約5kmの区間でした。現在のように地中に穴を掘りながら進んでいく工法ではなく、大きな溝を掘ってレールを敷きます。その上にまるで溝蓋(みぞぶた)を乗せるように塞いでいきました。今から151年前の話ですから、溝を掘りますよ〜といって工事もできただろうけれど現代ではあり得ませんね。さて、走っていた列車は電車だった? わけはなく蒸気機関車(SL)でした。ということは当然煙が充満するので車内は大変。煤煙で服も汚れるし息も苦しい。これはまずいというので「線路の上の溝蓋!」を外しておいて、溝のままの状態にしておけば換気ができるというわけです。SLは蓋が開いた箇所に来たら勢いよく煙を排出して、また潜っていく。まるで素潜りのような運転をしていたのです。それでも車内は煤煙で大変だったようです。しかるに地下鉄車両は「禁煙・NO SMOKING」であったとのこと。ジョークではありません。

 何でこんな昔から地下鉄を造ったかといえば、地上の交通事情がすでに対処できる範囲を超えていたからといえそうです。パディントン駅からコッツウォルズへ向かう列車の中では紅茶を飲みながら過ごせますが、当時の地下鉄ではそんな余裕はなかったでしょう。因みに現在の地下鉄(トンネルの形状からチューブと呼ばれている)でも、車内で飲食していると顔をしかめられます。