紅茶農園主のブログ

「私の大学」と「私の紅茶」

2021年2月4日

(備北民報 2014年2月4日掲載の連載エッセイ「紅茶の丘の物語(第128回)」より加筆修正したものを掲載します)

 高校生の頃、図書館でコピーしてもらった本があって、今でも大切に製本して持っています。ロシアのプロレタリアート作家であるマキシム・ゴーリキーの「私の大学」という小説です。テレビ番組で紹介されていたように記憶しています。さっそく図書館で探したのでした。その原本を昨年の秋ついに古本屋で見つけました。探していた本(探求本)に出会った瞬間の嬉しさたるや「い〜やっほ〜」という感じでしょうか。たとえカバーがなくても陽に焼けていてもカビ臭がしていようとも関係なし。この出会いこそ大切なのです。因みに税込み105円也。どんな内容かというと、主人公は大学生ではなく、むしろこの小説に大学は登場しません。誰でもが大学に行ける時代背景ではなかったのです。特に労働者階級の子どもにとって大学進学はまず難しい。主人公は旅に出て考えます。「大学」は行かずとも多くの人々と出会い親交を深めることこそが自分にとっての大学なんだと。その主人公とは作者ゴーリキーその人なのでした。

 ところで、紅茶をつくるという作業も教科書があるようでありません。実際は多くの先輩に教えを乞い、明治から現代までの国内外の製茶資料を読んで自分なりの紅茶をつくり上げていくしかないのです。私にとっては私の大学ならぬ「私の紅茶」はアーリーモーニング紅茶農園でつくりあげるほかなさそうです。

 そうはいっても、せっかく手に入れた「私の大学」を冬になったら読もうと楽しみにしていたのですが、ここ数日の温かな陽気と雪解けをみていると、どうやらのんびり読書とはいかないようです。紅茶農園に出てみると何となく「山笑う」(俳句で山の木々が萌え始める)季節になってきているような気がします。

 さて小説の最後に主人公は酒場に立ち寄り「紅茶」を飲みます。酒場で紅茶? これこそがロシアンティー。ウオッカを混ぜたバレーニエ(自家製ジャム)を口に入れて熱い紅茶を流し込んだのでしょう。とにかく温まります。お酒が苦手な方、召し上がれない方は蜂蜜入りはいかが。こちらも温まりますよ。