今年は日記帳をブック型の綴られたタイプにしたんです。昨年の秋、早々に購入してワクワクしながら新年を迎えて書き始めたら…万年筆のインクの裏抜けの激しいこと。書き終わって裏ページ(つまり翌日のページ)を見てみたら、既に書き終わったかのように見事にインクが裏抜けしていてびっくり。こりゃいかん。翌日は別のインクと万年筆で…やっぱりいっしょ。次の日はモンブランの水性ボールペンの162で書いてみるとやっぱり裏抜けしている。翌日は油性のボールペンを使って…てな具合で毎日気持ちよく書くことならず、まるで試し書きの実験をしているかのような塩梅で、最終的に「そうだ! 鉛筆にしよう!」鉛筆にもこだわりがありますしね…などと思うようになってしまって、なんじゃこりゃ? 「万年筆で縦書き」これが本来の目的だったのに万年筆使えないんじゃ意味ないじゃん。
そこで改めて、長年使い慣れたファイロファックスのリフィルを久しぶりに使ってみようと年が明けてから買い直しました。ほとんど完売の状態(もともと数が少ない)でやっと見つけました。書く欄が少ないから日記というほどのものは書けないけれど、ファイロファックスはもう34年以上使っているので結局元の鞘(さや)に収まったという具合です。それがやっと、今日届いた。ただ、一つ心配が。ファイロファックスのリフィルは万年筆と相性が悪いという印象しかなくて、買ってみたもののやっぱり鉛筆か! となるんじゃなかろうかという不安。よくみると届いたフィリルには FOUNTAIN PEN FRIENDLY って書いてあるのに気付く。恐る恐る万年筆で書いてみたら、全く裏抜けしていない! これで今年の日記を気持ちよく書き続けることができる。こんなありがたいことはない。毎日のありふれたように思える生活も時が経てば大切な人生の一場面であるから手書きで丁寧に紡いでいきたいなぁと思っております。
書くことの大切さ。多くの人に読んでいただく文章を書くということの大切さやありがたさをひしひしと感じたのは、ちょうど今から26年前に教育委員会から異動して「広報誌」を制作させていただいておりました時です。毎月お家に役所から届く、あれです。阪神淡路大震災の状況、地元から救助に駆けつけた消防本部の職員のインタビューや被災された方への援助の状況、支援の状況などを写真と文章で18ページ立ての特集号を組んで文章を書き写真も撮って編集も行いました。もう、あれから26年経ちました。ペンの持つ力はまるで武器のよう。人を勇気づけられることもあれば傷つけることもある。先輩から訓練を受けながら教えていただきました。様々な方面で文章を書かせていただく仕事もさせていただきました。通信員活動や新聞でのエッセイの連載もそう。その中でも大切な原点はやっぱり26年前にあるのかもしれません。
日記なんて書いても意味ないと思うんだけれど、年月が経てば自分が書いた文章の中に意外なヒントがあったりするものです。過去の自分が未来の自分導くのかも。だから書かなきゃ損かもね。さて、そこでだ! 書くためには良いペンも必要! あー、それに良い紙やノートも。インクも色を変えて…って、結局そういうことになっちゃって、、、中身がないものは良いペンにすがるしかないということでございますな。