(備北民報 2014年1月7日掲載の連載エッセイ「紅茶の丘の物語(第124回)」より加筆修正したものを掲載します)
さて今日は七草。お正月のご馳走で疲れた胃を休め、野菜不足を補うための風習ですが、これって元々は10世紀頃の平安時代の儀式で「延喜式」という書物の中に七草粥について書かれた部分が出てきます。当時は米、キビ、ひえ、みの、ゴマ、小豆を加えていたようです。これが民間にも広がっていきました。さらにその元をたどってみたら中国の六朝(りくちょう)時代(呉、晋、宋、斉、梁、陳の王朝)に遡ります。人日(じんじつ)の節句(旧暦1月7日)に草を食すことで一年の無病から逃れることができるとの風習で人日とは殺生をしない意。元々これは朝廷の貴族や官僚のもので、江戸時代には将軍以下武士はすべて七種(ななくさ)粥を食べていたそうです。ということは、一般庶民や一般の官人はなかなか口にすることもなかったようで平安時代の一般官人は米と小豆だけの二種粥(つまり御粥)しか食べられなかった。七草を入れたお粥を「七種粥」と書くことからも結構高級品だったのかもね。
私たちが普段、七草というと「春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)」を言いますが、「秋の七草」というのもあります。こちらは(おみなえし、おばな、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎ)を言います。へぇ〜これって食べるんだ。なんて思わないでくださいね。秋の七草はあくまでも鑑賞用で食したりしません。
さらにもうひとつ「夏の七草」について。第二次大戦中に食糧難の時節にも食することができる植物をまとめたもので(あかざ、いのこづち、ひゆ、すべりひゆ、しろつめぐさ、ひめじょおん、つゆくさ)の七種を選定したものです。こちらの七草は未来永劫食べなくても済むようでありたいものですね。やっぱり平和で美味しいものをお腹いっぱい食べられるお正月が一番。私も今年一年、心がお腹いっぱいになるようなエッセイを書きたいと思います。ご愛食、いやご愛読よろしくお願いいたします。