(備北民報 2012年1月10日掲載の連載エッセイ「紅茶の丘の物語(第36回)」より加筆修正したものを掲載します)
1月1日になると世界中の人が新しい年を迎えて暦もカレンダーも変わります。不思議ですよね。世界中で紛争や対立が続いて自分中心で動いている世の中なのに、暦だけは太陽暦という規則に従っているんですから。「うちの国は1年を400日でいきますから」とか「一日は26時間でいきますのでよろしく・・・」などといってたらそりゃあもう、大変なことになります。
先進国の仲間入りの条件の一つに暦を太陽暦に改める必要があり、日本は明治5年の12月に慌てて改暦。理由は国が財政難だったという説。明治5年は、旧暦でいう閏(うるう)年だったので一年が13ヶ月あった。年間のお役人の給料をひと月分余計に支払わないといけなかったので大隈重信さんが「よし、今がチャンスだ」と踏み切ったのだとか。翌明治6年にも閏月の調節で6月を2回しなくてはいけなかったので、半年の間に2ヶ月分の給料を節約できたというわけ。おかげで国庫予算が一息つけたというお話。旧暦では2〜3年ごとに閏月を設ける必要がありました。江戸時代は年俸制だから問題なかったけれど、月給制になった明治ではこれは大問題。
生活の中にあるいろいろな規格も暦を見習ってどこかで統一すればいいのにね。コンセントなども国によって形がいろいろだし何とかならないのだろうか。
実は紅茶の葉っぱの大きさも国や水質によって微妙に形状(サイズ)が異なっているんですよ。統一すれば見やすいのですが、紅茶の場合は水質によって色・味・香りが変化してしまうので、葉っぱを水の性質に合わせているのです。だからヨーロッパで飲まれる紅茶と日本で飲まれる紅茶とでは水の性質が違うので、葉っぱの形状も違うというわけです。紅茶を美味しくいただくには、水を知ることが必要です。
さて、日本の紅茶の始まりは、開国直後の明治7年に明治政府が外貨獲得のために「紅茶掛」という部署を設置して、日本人の知らなかった紅茶の伝承と製造を奨励したところから始まりました。そのとき発布された「紅茶製法書」という和綴じの本から、紅茶の歴史が始まりました。改暦から2年後のことでした。